いつか、きっと(1)/著:ソラノネコさま
2006年 03月 10日
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素敵こんゆ小説サイト【ソラノハナ】のソラノネコさまの
30万HIT御礼フリー小説をいただいてきましたvv
注:作品の著作権はソラノネコさまにあります。
ここからのお持ち帰りはダメですよ~。
ソラさま宅にて3/15(ぐらい?)までお持ち帰りフリーです。
有沢千夏、16歳。
私の父は商社の営業マンで母は塾の講師。二人とも『忙しい』が口癖だ。そんな両親に代わって私はずっとおばぁちゃんに面倒を見てもらった。
朝起きてから夜寝るまでおばぁちゃんで始まりおばぁちゃんで終わるそんな世界の中で、おばぁちゃんさえいれば父も母もいない家の中でも私は全然寂しくなかった。
全てはおばぁちゃんが中心―――私の世界はおばぁちゃんで回っていた。
「ちなちゃん。はい、お弁当。では先生、よろしくお願いします。」
丁度一週間前の朝。
いつものように私と手を繋いで幼稚園に連れて行ってくれたおばぁちゃんは門の所で私の手にお弁当を持たせて、きゅ、と後ろで束ねた髪に挿したドロップのような赤い簪を太陽の光にきらりと輝かせながら先生に丁寧にお辞儀をした。
「帰りに迎えに来るから。いい子にしてるのよ?」
そう言って手を振って帰っていったおばぁちゃん。
それが、私が見た最期のおばぁちゃんの元気な姿だった。
その日から一週間、私は自分の家ではなく母の妹にあたる智子おばさんの家から幼稚園に通った。
その理由は痛ましげに顔を歪めた智子おばさんから聞いた。
「あのね、ちなちゃん。おばぁちゃんね、ちょっと『怪我』をしちゃって、今、病院で治療してもらってるの。だからしばらくの間おばさんのお家に泊まろうね。」
私の手に駄菓子屋で買った長い棒のついたイチゴキャンディーを持たせて、ぎゅっと私を抱き締めた智子おばさんは細かく震えていた。
そのイチゴキャンディーを舐めながら。
時々太陽に透かして見ておばぁちゃんの簪を思い出しながら、おばぁちゃんの怪我が早く良くなる事を神様にお願いした。
だって私はおばぁちゃんが大好きだったから。
だから、一週間ぶりに会った母の鬼のような顔が、私は怖くて仕方が無かった。
少しでも母から離れたくて・・・逃げたくて。
「ねぇ、ママ。おばぁちゃんは?ちな、おばぁちゃんと一緒に帰りたい。」
私は先生のスカートに掴まりながらおばぁちゃんを探した。
でも。
「ちなちゃん。今日はおばぁちゃんは迎えに来れないんだって。だから、ね?」
私が母を怖がっているなんて露とも思わない先生は私の背中を簡単に押し、母は綺麗だけど冷たい―――おばぁちゃんとは全然違う、冷たい手で私の手をぎゅっと握った。
「―――先生。それで、」
「大丈夫です。園長先生にお話してありますから。」
「では暫く千夏は休ませますので。」
「はい。―――この度はご愁傷様でした。」
「ご丁寧に有難うございます。」
私には理解できない会話が頭の上を通り過ぎていく。
ただ、母の顔の向こうの青空を行く飛行機雲がやけに白くて綺麗だった。
そして痛いほど手をひっぱられて車に乗せられた私は、家の周りに張り巡らされた黒と白の垂れ幕の意味も解らないまま。
「―――おばあちゃん・・・!!」
いつも着ている薄紫の着物を着て玄関の前で帰りを待っていたおばぁちゃんに手を伸ばした。
不思議と思うには、私は幼すぎた。
※ ※ ※
「あれ?渋谷君?」
お昼休みが終わる、5分前。
私は飲みかけだった野菜ジュースを捨てようと思って席を立った。
向かった先は自販機の隣にある水道。
飲み切れなかったジュースはここに流して、隣のダストボックスに入れるのが『決まり』になっていた。
そこにいた先客は、最近友達になった私の席の斜め前の男の子―――後ろから2番目の私の席の、さらに二つ前の左側に座る、渋谷君だった。
「れ・・・?有沢じゃん。どうしたんだ?」
綺麗に角のそろった青と緑のチェックのハンカチを器用に蛇口の上に置いて、濯いでいた牛乳パックを『パック類』と書かれたダストボックスの口にぞんざいに突っ込んでいた渋谷君がふわりと笑う。
「どうしたって。わざわざここに来るって事は全部飲めなかったって事でしょ?」
右手に持っていたパックを左右に振ると四角い箱の中で『とぷとぷ』と少し重い音がして、中身が普通のジュースではない事を教えてくれた。
「珍しいな。有沢が残すなんてさ。」
「それってどういう意味?話の内容によっては訴えるわよ?」
「ははっ。深い意味は無いよ。俺の牛乳と一緒で有沢の野菜ジュースって体の為だろ?なのに残してるから体のどこかが悪いのかなって思っただけだよ。」
ハンカチで手を拭きながら私に場所を譲った渋谷くんの、今時にしては珍しいくらい手の入ってない―――だからと言って不潔だとかダサいとかじゃなくて、純粋にいじってないだけだ―――黒髪に、木々の木漏れ日が差し込んで、髪の一本一本が金色に輝く。
「―――大丈夫か?」
「ん。ちょっとね。でも小夜ちゃんにお薬を貰ったから大丈夫。」
まさか『女の子の日だ』なんて言えるはずも無く、私は曖昧に笑って誤魔化した。
「なら、良いんだけどさ。チョーシ悪かったら言えよ?遠慮したって何にもなんないからさ。今日も練習するんだろ?」
「勿論。一日サボればその分だけ自分にはね返ってくるもん。」
ぴっぴっとパックを振って。
濡れた手に液体石鹸を受けて泡立てながらふふっと笑うと、渋谷君は『違い無いや。』と言ってくしゃりと笑った。
初めて新体操を始めたの保育園の時。
何故かスケートとか新体操が好きだったおばぁちゃんの薦めて近所の新体操クラブに体験入学した時、初めて出来た前回りを横で見ていたおばぁちゃんが褒めてくれて、それが嬉しくて今までずっと続けてきた。
だって、おばぁちゃんに見て貰いたかったから。
私の出来る最高の演技を、大好きなおばぁちゃんに見て貰いたかったから、どんなに練習が厳しくても歯を食いしばって頑張ってきた。
そんな私を見て、皆、『すごい』って言う。
『すごいね、千夏。』
『やっぱり違うよね、有沢さんは。』
『有沢先輩の自信って何処から来るんですか?やっぱり上手だから?生まれながらの才能ですよね。いいなぁ。』
悪気が無い事は解ってる。
でも、当然のような賞賛の中に『私』を見ている人はいなかった。
『次も絶対優勝よね。』
『勝たなきゃダメよ、千夏。』
『任せたわよ有沢さん。』
信頼を受けて悪い気がする人は居ない。
そりゃ、私だって嬉しいと思う。
でも、素直に受け取るには『私』は無視され過ぎた。
『怖いよ。』
『痛いよ。』
『苦しいよ。』
そんな心の叫びに気付いてくれたのは、やっぱりおばぁちゃんだけ。
結果、私は自然と『私』の声を聞いてくれる人か、そうでない人か、親でさえ見てくれない『有沢千夏』に向き合ってくれる人かどうかを見分ける事が出来るようになってしまった。
そんな『私』が渋谷くんに出会ったのは2年生になった時。
「えーっと。春にこれを言うのは通算で11回目になりました。って事で知ってる人の方が多いと思うけど、俺が噂の渋谷有利・原宿不利です。趣味は野球。皆、一年間よろしくね。」
『噂の』という限りには何かしら特別な要素がある。
でも、クラス全員の自己紹介の最中ですら次の大会のプログラムを考えていた私は気にも留めなかった。
ただ―――そう、野球が趣味だと言う男の子にしては随分中性的な顔立ちの子だなと思っただけ。
当の渋谷君に話しかけられるまで、私は『渋谷有利』という男の子をその程度にしか思ってなかった。
「えと、さ。ちょっといい?俺、こないだあんたが体育館で練習してるの見たよ。こーんな長いリボン持ってさ。ぽいって投げて、前回りして、くるくるって綺麗な円を作ってた。あれ、なんていう技?」
目の前に人が立っているな、とは思った。
でも、丁度黒板の写し切れなかった場所を友達に借りたノートから写していた私は、話し掛けられているのが私だとは思わずずっと下を向いていた。
そんな私の袖を引いたのは、ノートを貸してくれた友達―――幼稚園からずっと一緒に小夜ちゃんだ。
「・・・ちな、ちな。」
「・・・何?」
「何、じゃないよ。ほら、渋谷君がちなの練習見たって。こないだやってたリボンの技を訊いてるよ。」
「・・・え?」
顔を上げると満面の笑顔で私を見下ろしている渋谷君と真正面から目が合った。
「ごめんね、突然話し掛けて。たださ、あんた、すっごい綺麗だったから感想言っときたくてさ。」
『綺麗』―――それは技に関してならよく言われる言葉。
でも『私が』なんて事を言われる事は稀。
―――突然何を言い出すんだろう。
私は渋谷君の意図がつかめなくて、彼の顔を―――こうしてまじまじと見ると、中性的なんて簡単な言葉で片付けられないくらい、可愛らしい顔をした渋谷君の顔を―――凝視した。
でも渋谷君はそんな視線の意味には気がつかないまま、ただ、『凄いね。』とか『練習いっぱいしたんでしょ?』とかをまくし立てている。
そんな渋谷君にいちいち反応してるのは小夜ちゃんだ
「そうなのよ。ちな、頑張り屋さんだから。ほんと、いつも最期まで残って練習してるんだよ?」
興奮した話し振りに、どういう訳か私の心はどんどん冷めていくのを感じながら。
「それはどうもありがとう。」
出来るだけ丁寧に。
それから、聞いた人が不快に思わないように。
たった16年だけど、でも、いろんな場面で傷つけられて、これ以上傷つけられるのが嫌で必死になって培った笑顔でお礼を言うと、なぜか小夜ちゃんに怒られた。
「ちょっとちなっ!褒められるのが苦手なのは解るけど態度悪いよ!」
「態度悪いって・・・。」
腰に手を当てて小夜ちゃんが怒る理由が解らなくて、私は面食らってしまった。
「待ってよ。私は精一杯、」
「嘘!自分が気がついてないだけで、どこが精一杯よ。・・・ホントにもう、せっかく渋谷君が話し掛けてくれてるのに、何でそんなにつっけんどんなの?―――ごめんね、渋谷君。ちな、こういう子なの。だからあまり気にしないで?」
―――こ、こういう子って・・・。
私より余程ハキハキした性格の小夜ちゃんだから、多少言葉がキツいのは慣れっこだ。
でも、慣れっこになる程付き合いが深いとは言え、突然『私』を決め付けられればカチンとくる。
「ちょっと待って。いくら小夜ちゃんでも失礼だと思わない?」
「失礼って何が?ちなの方がよっぽど失礼だよ。」
「だからどうして?私は―――」
言いかけて。
『小夜ちゃんは、この男の子の事が好きなのよ。』
私の耳元で囁くおばぁちゃんの声に、私ははっと息を呑み。
「・・・小夜ちゃん―――嘘でしょ?」
しまった、と思ったときにはもう遅かった。
小夜ちゃんの頬がみるみる真っ赤に染まって、あっという間に瞳に盛り上がった涙が机の上に広げたノートにぽたりと落ちたのを、まるでスローモーション映像を見るように見守る私の目の前で。
「・・・ちななんて、ダイッキライ!」
次の授業の開始を告げる本鈴の響く中、教室を飛び出していった小夜ちゃんの後姿を私と渋谷君と、教室中の皆が凍りついたように見ている。
その止まった時間を動かしたのは英語の本を持って教室に入ってきたローレンス先生だ。
「ねぇ、今、Banbinaちゃんが走って行っちゃったんだけど、どうしたの?」
ローレンス先生の問い掛けは、真っ直ぐ私に向けられた。
でも、私の喉は干からびたようにパサパサで、小夜ちゃんが飛び出していった理由を話そうにも声が出ない。
そんな私の代わりに答えてくれたのは・・・渋谷君。
「あ―――っと、先生ゴメン!俺、腹痛になった!!それも超緊急、エマージェンシーなやつ!だからトイレ行って来てもいいっ!?」
「Emergencyなやつ?そりゃぁ大変だ、Mr.ドラに頼んでDoor To Doorな武器を出してもらおうか?」
「それならダイジョーブ!ジギル博士も裸足で逃げ出すマッド・マジカリストを知ってるから!」
「そうかい?では素早く行ってきたまえ。―――有沢女史、キミもね。」
ぐいぐい、と私の背中を押して。
渋谷君よりも先に私を廊下に出しながら、先生はにっこり微笑んだ。
「―――その代わり、さっき僕の隣をすり抜けていったBanbinaちゃんと三人、必ず僕の授業中に帰ってくること。これ、Promise。いいね?」
ウインクと共に扉を閉めたローレンス先生の好意に感謝しながら、私と渋谷君はいろんな先生の声や生徒の朗読の声を聞きながら小夜ちゃんが走り去った方向へと歩いた。
※ ※ ※
「さっきの子・・・。」
「小夜ちゃん?」
「うん。行き先に心当たりある?」
ちら、と時計を見ながら小首を傾げる渋谷君の動作につられる様に私も自分の時計を見ると、時計の針はちょうど10時を指していた。
「逆算してちょうど40分。ただ闇雲に探すのはちょっとキビシイかな。」
「そうねぇ・・・。私が練習してるといつも体育館の端で見てくれてたりするんだけど・・・。」
「ふぅん。他には?」
「他?」
「そ。例えば、西棟の非常階段が好きー、とか、中庭のベンチが好きー、とか。お弁当はいつもここで食べてるのー、とか。そういうの無いの?」
「えっと・・・。休憩時間は大抵一緒だけど、でも大抵教室にいて何処にも行かないわ。お弁当もいつも教室で食べてて・・・その後はたまに体育館に行ったりする時もあるけど・・・。」
「練習?」
「いいえ?皆と一緒にバレーボールで遊んだり、バトミントンをしたりしてるわ。」
「そっか。じゃ、他には?」
「他には何も・・・。」
―――何も、思いつかない・・・。
私はその事に愕然とした。
おばぁちゃんと一緒じゃない時、私の隣にはいつも小夜ちゃんがいた。
幼稚園で遊んでいた時も、小学校へ通う道すがらも、中学校の特別授業の時も、図書館で参考書を広げていた時も、新体操の練習の為に居残りしてる時も、私は小夜ちゃんとずっと一緒だった。
だから、私は小夜ちゃんの事なら何でも知ってると思ってた。
大好きな芸能人だとか、最近読んだ本だとか。よく聴くCDだとかお気に入りのブランドだとか。
一緒に居る私たちはまるで双子の姉妹みたいだと、親にも小夜ちゃんのご両親にも言われた。
それくらい、ずっと一緒だった。
なのに私は、私と一緒じゃない小夜ちゃんを何も知らなかった。
私以外の仲の良い友達とか、私が大会とかで学校を休んでる時誰とお弁当を食べてるのかとか、学校の帰りに何処へ寄ってるのかとか。
小夜ちゃんが一人で何を考え、何を思っていたかなんて全然知らなくて―――
「・・・ごめんなさい。」
「え?あっ、いや、そのっ。」
廊下のタイルの目地をぼやけた視界で数えながらくぐもった声で謝ると、渋谷君が慌てて手を振る影が見えた。
「―――ごめん。謝るのは俺の方だから。その・・・俺、何かヘンな事言ったみたいで・・・ごめん。ごめんなさい。だから、その、な、なか、なか、」
「・・・泣いてなんかいないわ。」
ホントは嘘。
誰が聞いても解るくらいの涙声。
この私が―――例え試合でミスをしても泣いたりなんかしない私が、どういう訳か渋谷君の前で泣いていた。
「えと・・・えと。し、知り合いには、ものすごーく女の子を慰めるのが上手なヤツとか、気を紛らわす為のアイテムをちょちょいっと作れるヤツとか、見てるだけで十分癒される~とかってヤツも居るには居るんだけど・・・あ、でも最後のヤツは見る専用なんだけど。でも、俺にはそういう技とか全然無くて、えっと、だから、その・・・っ。」
『大丈夫。任せてって言えば良いんですよ。』
「え?」
何気なく聞こえた言葉に私は顔を上げて渋谷君を見た。
「何か言った?」
「え?俺、何も言ってないけど?」
黒目勝ちな瞳できょとん、と私を見詰め返す渋谷君が嘘を言っているとは思えない。
そもそも、こんな事で嘘を言ったって仕方が無い。
でも。
聞こえてきたのは男の人の声。
間違ってもおばぁちゃんの声じゃ無いって断言できる。
だからてっきり渋谷君だと思った。
でも、渋谷君は違うと言う。
―――だったら、今の声は・・・。
「渋谷君?」
「ん?」
「あなた・・・あっ!!」
『あなた、一体、何者?』
唐突に沸き起こった疑問を口にしようと思った瞬間、外から入ってきた目を刺す程の強い光によって私は言葉を失った。
「・・・っ、ねぇ、何、今の。」
「・・・今の?今のって、今の光の事?」
「そう。」
残像の残る目を押さえながら外を見る私の隣で、渋谷君がゆっくりと窓ガラスに近づく。そして、『あれかっ!』と小さく叫んだ。
「有沢さん、あれ!あの宅配トラック!きっとフロント硝子に光が反射して、それが差し込んだんだよ。」
指差した先には確かに運動場をこっちに向かって走る宅配のトラックが見えた。
でも、それにしては強すぎるような気がしないでもない。
―――ヘンだな。
そう思いはしても、他に何か理由が見つかる訳でも無く。
腑に落ちない思いを抱えたまま、私は先に歩き出した渋谷君の後を追った。
その渋谷君が唐突にぽん、と手を打った。
「そうだ、あそこに行ってみよう!」
「あそこ?」
「そ、あそこ。まーいいから。俺、カンだけは良い方だから任せてよ。」
そう言うと渋谷君はいきなり歩く速度を速めて私を置いてどんどん先に行ってしまう。
その背中に。
ふわり。
人によっては目の錯覚、もしくは気のせい。
そんな淡い、丸い光が、ふよふよと渋谷君の背中から肩にかけて浮かんでいるのが『視え』た。
いつか、きっと<2>
30万HIT御礼フリー小説をいただいてきましたvv
ここからのお持ち帰りはダメですよ~。
ソラさま宅にて3/15(ぐらい?)までお持ち帰りフリーです。
有沢千夏、16歳。
私の父は商社の営業マンで母は塾の講師。二人とも『忙しい』が口癖だ。そんな両親に代わって私はずっとおばぁちゃんに面倒を見てもらった。
朝起きてから夜寝るまでおばぁちゃんで始まりおばぁちゃんで終わるそんな世界の中で、おばぁちゃんさえいれば父も母もいない家の中でも私は全然寂しくなかった。
全てはおばぁちゃんが中心―――私の世界はおばぁちゃんで回っていた。
「ちなちゃん。はい、お弁当。では先生、よろしくお願いします。」
丁度一週間前の朝。
いつものように私と手を繋いで幼稚園に連れて行ってくれたおばぁちゃんは門の所で私の手にお弁当を持たせて、きゅ、と後ろで束ねた髪に挿したドロップのような赤い簪を太陽の光にきらりと輝かせながら先生に丁寧にお辞儀をした。
「帰りに迎えに来るから。いい子にしてるのよ?」
そう言って手を振って帰っていったおばぁちゃん。
それが、私が見た最期のおばぁちゃんの元気な姿だった。
その日から一週間、私は自分の家ではなく母の妹にあたる智子おばさんの家から幼稚園に通った。
その理由は痛ましげに顔を歪めた智子おばさんから聞いた。
「あのね、ちなちゃん。おばぁちゃんね、ちょっと『怪我』をしちゃって、今、病院で治療してもらってるの。だからしばらくの間おばさんのお家に泊まろうね。」
私の手に駄菓子屋で買った長い棒のついたイチゴキャンディーを持たせて、ぎゅっと私を抱き締めた智子おばさんは細かく震えていた。
そのイチゴキャンディーを舐めながら。
時々太陽に透かして見ておばぁちゃんの簪を思い出しながら、おばぁちゃんの怪我が早く良くなる事を神様にお願いした。
だって私はおばぁちゃんが大好きだったから。
だから、一週間ぶりに会った母の鬼のような顔が、私は怖くて仕方が無かった。
少しでも母から離れたくて・・・逃げたくて。
「ねぇ、ママ。おばぁちゃんは?ちな、おばぁちゃんと一緒に帰りたい。」
私は先生のスカートに掴まりながらおばぁちゃんを探した。
でも。
「ちなちゃん。今日はおばぁちゃんは迎えに来れないんだって。だから、ね?」
私が母を怖がっているなんて露とも思わない先生は私の背中を簡単に押し、母は綺麗だけど冷たい―――おばぁちゃんとは全然違う、冷たい手で私の手をぎゅっと握った。
「―――先生。それで、」
「大丈夫です。園長先生にお話してありますから。」
「では暫く千夏は休ませますので。」
「はい。―――この度はご愁傷様でした。」
「ご丁寧に有難うございます。」
私には理解できない会話が頭の上を通り過ぎていく。
ただ、母の顔の向こうの青空を行く飛行機雲がやけに白くて綺麗だった。
そして痛いほど手をひっぱられて車に乗せられた私は、家の周りに張り巡らされた黒と白の垂れ幕の意味も解らないまま。
「―――おばあちゃん・・・!!」
いつも着ている薄紫の着物を着て玄関の前で帰りを待っていたおばぁちゃんに手を伸ばした。
不思議と思うには、私は幼すぎた。
※ ※ ※
「あれ?渋谷君?」
お昼休みが終わる、5分前。
私は飲みかけだった野菜ジュースを捨てようと思って席を立った。
向かった先は自販機の隣にある水道。
飲み切れなかったジュースはここに流して、隣のダストボックスに入れるのが『決まり』になっていた。
そこにいた先客は、最近友達になった私の席の斜め前の男の子―――後ろから2番目の私の席の、さらに二つ前の左側に座る、渋谷君だった。
「れ・・・?有沢じゃん。どうしたんだ?」
綺麗に角のそろった青と緑のチェックのハンカチを器用に蛇口の上に置いて、濯いでいた牛乳パックを『パック類』と書かれたダストボックスの口にぞんざいに突っ込んでいた渋谷君がふわりと笑う。
「どうしたって。わざわざここに来るって事は全部飲めなかったって事でしょ?」
右手に持っていたパックを左右に振ると四角い箱の中で『とぷとぷ』と少し重い音がして、中身が普通のジュースではない事を教えてくれた。
「珍しいな。有沢が残すなんてさ。」
「それってどういう意味?話の内容によっては訴えるわよ?」
「ははっ。深い意味は無いよ。俺の牛乳と一緒で有沢の野菜ジュースって体の為だろ?なのに残してるから体のどこかが悪いのかなって思っただけだよ。」
ハンカチで手を拭きながら私に場所を譲った渋谷くんの、今時にしては珍しいくらい手の入ってない―――だからと言って不潔だとかダサいとかじゃなくて、純粋にいじってないだけだ―――黒髪に、木々の木漏れ日が差し込んで、髪の一本一本が金色に輝く。
「―――大丈夫か?」
「ん。ちょっとね。でも小夜ちゃんにお薬を貰ったから大丈夫。」
まさか『女の子の日だ』なんて言えるはずも無く、私は曖昧に笑って誤魔化した。
「なら、良いんだけどさ。チョーシ悪かったら言えよ?遠慮したって何にもなんないからさ。今日も練習するんだろ?」
「勿論。一日サボればその分だけ自分にはね返ってくるもん。」
ぴっぴっとパックを振って。
濡れた手に液体石鹸を受けて泡立てながらふふっと笑うと、渋谷君は『違い無いや。』と言ってくしゃりと笑った。
初めて新体操を始めたの保育園の時。
何故かスケートとか新体操が好きだったおばぁちゃんの薦めて近所の新体操クラブに体験入学した時、初めて出来た前回りを横で見ていたおばぁちゃんが褒めてくれて、それが嬉しくて今までずっと続けてきた。
だって、おばぁちゃんに見て貰いたかったから。
私の出来る最高の演技を、大好きなおばぁちゃんに見て貰いたかったから、どんなに練習が厳しくても歯を食いしばって頑張ってきた。
そんな私を見て、皆、『すごい』って言う。
『すごいね、千夏。』
『やっぱり違うよね、有沢さんは。』
『有沢先輩の自信って何処から来るんですか?やっぱり上手だから?生まれながらの才能ですよね。いいなぁ。』
悪気が無い事は解ってる。
でも、当然のような賞賛の中に『私』を見ている人はいなかった。
『次も絶対優勝よね。』
『勝たなきゃダメよ、千夏。』
『任せたわよ有沢さん。』
信頼を受けて悪い気がする人は居ない。
そりゃ、私だって嬉しいと思う。
でも、素直に受け取るには『私』は無視され過ぎた。
『怖いよ。』
『痛いよ。』
『苦しいよ。』
そんな心の叫びに気付いてくれたのは、やっぱりおばぁちゃんだけ。
結果、私は自然と『私』の声を聞いてくれる人か、そうでない人か、親でさえ見てくれない『有沢千夏』に向き合ってくれる人かどうかを見分ける事が出来るようになってしまった。
そんな『私』が渋谷くんに出会ったのは2年生になった時。
「えーっと。春にこれを言うのは通算で11回目になりました。って事で知ってる人の方が多いと思うけど、俺が噂の渋谷有利・原宿不利です。趣味は野球。皆、一年間よろしくね。」
『噂の』という限りには何かしら特別な要素がある。
でも、クラス全員の自己紹介の最中ですら次の大会のプログラムを考えていた私は気にも留めなかった。
ただ―――そう、野球が趣味だと言う男の子にしては随分中性的な顔立ちの子だなと思っただけ。
当の渋谷君に話しかけられるまで、私は『渋谷有利』という男の子をその程度にしか思ってなかった。
「えと、さ。ちょっといい?俺、こないだあんたが体育館で練習してるの見たよ。こーんな長いリボン持ってさ。ぽいって投げて、前回りして、くるくるって綺麗な円を作ってた。あれ、なんていう技?」
目の前に人が立っているな、とは思った。
でも、丁度黒板の写し切れなかった場所を友達に借りたノートから写していた私は、話し掛けられているのが私だとは思わずずっと下を向いていた。
そんな私の袖を引いたのは、ノートを貸してくれた友達―――幼稚園からずっと一緒に小夜ちゃんだ。
「・・・ちな、ちな。」
「・・・何?」
「何、じゃないよ。ほら、渋谷君がちなの練習見たって。こないだやってたリボンの技を訊いてるよ。」
「・・・え?」
顔を上げると満面の笑顔で私を見下ろしている渋谷君と真正面から目が合った。
「ごめんね、突然話し掛けて。たださ、あんた、すっごい綺麗だったから感想言っときたくてさ。」
『綺麗』―――それは技に関してならよく言われる言葉。
でも『私が』なんて事を言われる事は稀。
―――突然何を言い出すんだろう。
私は渋谷君の意図がつかめなくて、彼の顔を―――こうしてまじまじと見ると、中性的なんて簡単な言葉で片付けられないくらい、可愛らしい顔をした渋谷君の顔を―――凝視した。
でも渋谷君はそんな視線の意味には気がつかないまま、ただ、『凄いね。』とか『練習いっぱいしたんでしょ?』とかをまくし立てている。
そんな渋谷君にいちいち反応してるのは小夜ちゃんだ
「そうなのよ。ちな、頑張り屋さんだから。ほんと、いつも最期まで残って練習してるんだよ?」
興奮した話し振りに、どういう訳か私の心はどんどん冷めていくのを感じながら。
「それはどうもありがとう。」
出来るだけ丁寧に。
それから、聞いた人が不快に思わないように。
たった16年だけど、でも、いろんな場面で傷つけられて、これ以上傷つけられるのが嫌で必死になって培った笑顔でお礼を言うと、なぜか小夜ちゃんに怒られた。
「ちょっとちなっ!褒められるのが苦手なのは解るけど態度悪いよ!」
「態度悪いって・・・。」
腰に手を当てて小夜ちゃんが怒る理由が解らなくて、私は面食らってしまった。
「待ってよ。私は精一杯、」
「嘘!自分が気がついてないだけで、どこが精一杯よ。・・・ホントにもう、せっかく渋谷君が話し掛けてくれてるのに、何でそんなにつっけんどんなの?―――ごめんね、渋谷君。ちな、こういう子なの。だからあまり気にしないで?」
―――こ、こういう子って・・・。
私より余程ハキハキした性格の小夜ちゃんだから、多少言葉がキツいのは慣れっこだ。
でも、慣れっこになる程付き合いが深いとは言え、突然『私』を決め付けられればカチンとくる。
「ちょっと待って。いくら小夜ちゃんでも失礼だと思わない?」
「失礼って何が?ちなの方がよっぽど失礼だよ。」
「だからどうして?私は―――」
言いかけて。
『小夜ちゃんは、この男の子の事が好きなのよ。』
私の耳元で囁くおばぁちゃんの声に、私ははっと息を呑み。
「・・・小夜ちゃん―――嘘でしょ?」
しまった、と思ったときにはもう遅かった。
小夜ちゃんの頬がみるみる真っ赤に染まって、あっという間に瞳に盛り上がった涙が机の上に広げたノートにぽたりと落ちたのを、まるでスローモーション映像を見るように見守る私の目の前で。
「・・・ちななんて、ダイッキライ!」
次の授業の開始を告げる本鈴の響く中、教室を飛び出していった小夜ちゃんの後姿を私と渋谷君と、教室中の皆が凍りついたように見ている。
その止まった時間を動かしたのは英語の本を持って教室に入ってきたローレンス先生だ。
「ねぇ、今、Banbinaちゃんが走って行っちゃったんだけど、どうしたの?」
ローレンス先生の問い掛けは、真っ直ぐ私に向けられた。
でも、私の喉は干からびたようにパサパサで、小夜ちゃんが飛び出していった理由を話そうにも声が出ない。
そんな私の代わりに答えてくれたのは・・・渋谷君。
「あ―――っと、先生ゴメン!俺、腹痛になった!!それも超緊急、エマージェンシーなやつ!だからトイレ行って来てもいいっ!?」
「Emergencyなやつ?そりゃぁ大変だ、Mr.ドラに頼んでDoor To Doorな武器を出してもらおうか?」
「それならダイジョーブ!ジギル博士も裸足で逃げ出すマッド・マジカリストを知ってるから!」
「そうかい?では素早く行ってきたまえ。―――有沢女史、キミもね。」
ぐいぐい、と私の背中を押して。
渋谷君よりも先に私を廊下に出しながら、先生はにっこり微笑んだ。
「―――その代わり、さっき僕の隣をすり抜けていったBanbinaちゃんと三人、必ず僕の授業中に帰ってくること。これ、Promise。いいね?」
ウインクと共に扉を閉めたローレンス先生の好意に感謝しながら、私と渋谷君はいろんな先生の声や生徒の朗読の声を聞きながら小夜ちゃんが走り去った方向へと歩いた。
※ ※ ※
「さっきの子・・・。」
「小夜ちゃん?」
「うん。行き先に心当たりある?」
ちら、と時計を見ながら小首を傾げる渋谷君の動作につられる様に私も自分の時計を見ると、時計の針はちょうど10時を指していた。
「逆算してちょうど40分。ただ闇雲に探すのはちょっとキビシイかな。」
「そうねぇ・・・。私が練習してるといつも体育館の端で見てくれてたりするんだけど・・・。」
「ふぅん。他には?」
「他?」
「そ。例えば、西棟の非常階段が好きー、とか、中庭のベンチが好きー、とか。お弁当はいつもここで食べてるのー、とか。そういうの無いの?」
「えっと・・・。休憩時間は大抵一緒だけど、でも大抵教室にいて何処にも行かないわ。お弁当もいつも教室で食べてて・・・その後はたまに体育館に行ったりする時もあるけど・・・。」
「練習?」
「いいえ?皆と一緒にバレーボールで遊んだり、バトミントンをしたりしてるわ。」
「そっか。じゃ、他には?」
「他には何も・・・。」
―――何も、思いつかない・・・。
私はその事に愕然とした。
おばぁちゃんと一緒じゃない時、私の隣にはいつも小夜ちゃんがいた。
幼稚園で遊んでいた時も、小学校へ通う道すがらも、中学校の特別授業の時も、図書館で参考書を広げていた時も、新体操の練習の為に居残りしてる時も、私は小夜ちゃんとずっと一緒だった。
だから、私は小夜ちゃんの事なら何でも知ってると思ってた。
大好きな芸能人だとか、最近読んだ本だとか。よく聴くCDだとかお気に入りのブランドだとか。
一緒に居る私たちはまるで双子の姉妹みたいだと、親にも小夜ちゃんのご両親にも言われた。
それくらい、ずっと一緒だった。
なのに私は、私と一緒じゃない小夜ちゃんを何も知らなかった。
私以外の仲の良い友達とか、私が大会とかで学校を休んでる時誰とお弁当を食べてるのかとか、学校の帰りに何処へ寄ってるのかとか。
小夜ちゃんが一人で何を考え、何を思っていたかなんて全然知らなくて―――
「・・・ごめんなさい。」
「え?あっ、いや、そのっ。」
廊下のタイルの目地をぼやけた視界で数えながらくぐもった声で謝ると、渋谷君が慌てて手を振る影が見えた。
「―――ごめん。謝るのは俺の方だから。その・・・俺、何かヘンな事言ったみたいで・・・ごめん。ごめんなさい。だから、その、な、なか、なか、」
「・・・泣いてなんかいないわ。」
ホントは嘘。
誰が聞いても解るくらいの涙声。
この私が―――例え試合でミスをしても泣いたりなんかしない私が、どういう訳か渋谷君の前で泣いていた。
「えと・・・えと。し、知り合いには、ものすごーく女の子を慰めるのが上手なヤツとか、気を紛らわす為のアイテムをちょちょいっと作れるヤツとか、見てるだけで十分癒される~とかってヤツも居るには居るんだけど・・・あ、でも最後のヤツは見る専用なんだけど。でも、俺にはそういう技とか全然無くて、えっと、だから、その・・・っ。」
『大丈夫。任せてって言えば良いんですよ。』
「え?」
何気なく聞こえた言葉に私は顔を上げて渋谷君を見た。
「何か言った?」
「え?俺、何も言ってないけど?」
黒目勝ちな瞳できょとん、と私を見詰め返す渋谷君が嘘を言っているとは思えない。
そもそも、こんな事で嘘を言ったって仕方が無い。
でも。
聞こえてきたのは男の人の声。
間違ってもおばぁちゃんの声じゃ無いって断言できる。
だからてっきり渋谷君だと思った。
でも、渋谷君は違うと言う。
―――だったら、今の声は・・・。
「渋谷君?」
「ん?」
「あなた・・・あっ!!」
『あなた、一体、何者?』
唐突に沸き起こった疑問を口にしようと思った瞬間、外から入ってきた目を刺す程の強い光によって私は言葉を失った。
「・・・っ、ねぇ、何、今の。」
「・・・今の?今のって、今の光の事?」
「そう。」
残像の残る目を押さえながら外を見る私の隣で、渋谷君がゆっくりと窓ガラスに近づく。そして、『あれかっ!』と小さく叫んだ。
「有沢さん、あれ!あの宅配トラック!きっとフロント硝子に光が反射して、それが差し込んだんだよ。」
指差した先には確かに運動場をこっちに向かって走る宅配のトラックが見えた。
でも、それにしては強すぎるような気がしないでもない。
―――ヘンだな。
そう思いはしても、他に何か理由が見つかる訳でも無く。
腑に落ちない思いを抱えたまま、私は先に歩き出した渋谷君の後を追った。
その渋谷君が唐突にぽん、と手を打った。
「そうだ、あそこに行ってみよう!」
「あそこ?」
「そ、あそこ。まーいいから。俺、カンだけは良い方だから任せてよ。」
そう言うと渋谷君はいきなり歩く速度を速めて私を置いてどんどん先に行ってしまう。
その背中に。
ふわり。
人によっては目の錯覚、もしくは気のせい。
そんな淡い、丸い光が、ふよふよと渋谷君の背中から肩にかけて浮かんでいるのが『視え』た。
by pontika
| 2006-03-10 22:59
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